(銀シャリ・・に思う)

 仏舎利とは、お釈迦様の遺骨(骨粉)のことだという。その様子から銀シャリ・・は、炊き上がって銀色に輝く高級米の形容であるらしい。主食をこのように表現すること事態いかがなものか(?)・・とも思う。 今は健康目的を除きどこの家庭でも美味い白飯ばかりになったようだが年配の方はご存知のように昔はそうではない。

昭和33年の春、私は中学生になった。小学校時代の昼食は給食であったが今度から弁当持参だ。その第一日目、県内有数の米どころである見沼田んぼの農家の児童が多かったからかもしれないが、周りの子供の大半は白米弁当である。その真っ白な米の上に乗せられた深紅の紅生姜との対比が・・「綺麗だな」・・と、そのときの印象は今でも忘れない。

私は、というと麦飯弁当なのだ。麦飯の子供もいたけれど、ほんの少ししか麦は入っておらず白い体裁を保っていたが私のほうは麦が6割ぐらいで、真っ黒・・。

少し恥ずかしい気持ちで日々を過ごしていたが、あるとき隣の席の農家の息子の小島光二 君が・・「少し食べさせてくれないかな」・・といった。「麦を入れた御飯は食べたことが無い」・・とも言った。私は、「不味いよ〜」と答える暇も無く、もう光二君は口に入れてしまった。「ふ〜ん、こういう味か・・ゴソゴソしているな」 と、光二君は私の顔を見た。

麦6割・・の御飯を貴方は食べたことがあるだろうか(?)。炊きたては、それなりに美味しいのであるけれど冷めると、ぼそぼそでベチャっとなって、おまけに黒い・・。

ある日の家での夕飯時、私は茶碗に盛られた麦飯の麦だけを丹念に拾い食べ、残った米だけを纏めて口に入れたことがある。その様子を黙ってみていた母は、次の日に米だけを何も言わずに炊いてくれた。・・けれども、あの時の光二君のものと何かが違ってそれほど旨いとは感じなかった。母は、「美味しいかい?」といったが私は・・「美味しいね、だけど もういいよ」・・とだけ答えた。次の日には麦飯に戻っていたが、母はさぞ辛かっただろうと思う。

これ以後、私は・・私の家はこうである、麦飯弁当の何が悪い・・と、恥じることも無くなった。貧しかった我が家ではあるが、日々の暮らしに全く不自由を感じた覚えが無いのは、両親がその分、荷なってくれたのではないかと思うし、黒い麦飯弁当の私に対して学友達は、全く無頓着、本当に何一つ変わらない、やさしい優しい人たちなのでありました・・。

今思うと、あの時食べさせてもらった光二君の白飯は、私にとって正に、銀シャリ・・そのものであったのです・・。

07年3月24日 mvm masa


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