(霊柩車)

 街を歩いていたり車に乗っている時に、たまに霊柩車を見かける事が有るでしょう。私は今日でも霊柩車を見るたびに、あの日のことを、ふっと思い出す。


当時私は埼玉県熊谷市まで 自宅の大宮市から毎日、車で通勤していた。仕事は家庭電器の出張修理が主で、その日も熊谷の事務所に近い吹上町で暖房器のファンヒーターを 料亭だか小さい旅館だか、よく覚えていないけれど、昼頃に降りはじめた雪が午後三時近くから本降りになって積もり始めたので帰りのことを心配しながら作業していた。そういう客先だったからファンヒーターも三台、四台と多くあり、すべての修理を終えたのは四時を過ぎていた。昭和55年頃の一月終わりか二月始めで、これらの事情は何でもない極普通のことである。

作業車はタイヤチエンも持たず 荷台は空のライトエーストラックのため後輪は軽い。17号国道に掛かる佐谷田陸橋はスリップして越えられないと思い、行田市に迂回して平地を通り、やっと熊谷の事務所に戻った。

当時は、どの企業でも仕事が多く サービス残業が問題になり始めた頃で、事務所を出て自宅に向かったのは10時半を回っていた。雪はまだ降り続いていたが私は全然心配はしていなかった。私の車は四輪駆動の三菱ジープだったからである。

前置きが長くなったけれど 問題は自宅へ帰る途中で起こった。このあたりとしては珍しい大雪で、国道17号といえども道路のアスファルトは全く見えない。会社から帰宅途中と思われる乗用車はチエンをつけていないものもあり、お尻を振り振りノロノロと 一度停車すれば発進困難となるように、やっと走っている。事実、信号を無視して止まらないようにしている車もある。


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