(悪ガキ)

 ボクの子供の頃の(昭和27年前後)主な遊びといえば・・ベーゴマ めんこ ビー玉 釘刺し・・などがありました。 釘刺し、というのは5寸ぐらいの大きな釘を友達と交互に地面に刺して(打ちつけて)相手の釘を倒したり、倒れている釘をめがけて打ちつけ跳ね飛ばすのです。 倒されたり飛ばされたりすれば釘を獲られてしまいます。 ビー玉、めんこ、ベーゴマしかり、負ければすべて相手のものです・・「ようがすか?ようがすネ? 勝負」・・ようするにギャンブルです。

当時はまことに寛大で、世間では如何こういうものは居なかったし、とがめられた事も皆無でした(日々の生活に精一杯で、それどころではなかったのでしょうネ) 現在では遊び方は別として、年端のいかない子供の、この博打行為をナントカ会のオバサンや ○○教育者の余計な口出し必至でしょう・・タブン。

これには・・「うそンコ」 「ほんコ」・・というのが有って、文字通り 嘘んこ はギャンブルなし、本こ・・は獲ったり獲られたり・・。

で、あるから子供でも、どうしたら勝てるか・・の創意工夫が生まれる。 メンコは簡単にはひっくり返されないように薄くロウを塗ったり相手のメンコに、どの角度から風を送ると良いか。 ベーゴマはコマの底をヤスリや砥石で削ったり、周囲のギザギザを鋭利にしたり巻き方を工夫したり。 ・・そうして再び相手に挑戦するのが本当に楽しかった。

ベーゴマ遊びは普通、樽やバケツの上に敷いたシートで床を作り、その上で戦う。 チッチノチ・・の掛け声で4〜5人が同時に回し入れるガッチャ(大宮市のボクの処では)という方法。 それから一対一で行うサシなどがあった。

ガッチャもサシも、それぞれの者が、それぞれの思惑で一生懸命に工夫改造した有利なコマを選び、遊び方によって使い分ける。 ボクの処では、コマは形により ペチャという一番背が低い(薄い)もの、タカ という背が高いもの、中ぐらいの高さの チュウダカ。 それから肉厚で重量のあるものや無いもの・・などがあったが、これらのコマが一瞬の勝負で相手に獲られてしまうわけだ。

特にガッチャの場合、自分のコマが沢山のコマを派手にパチンパチンと弾き飛ばし、一つだけ床の真ん中で回っていて4〜5個のコマが全部自分のもの・・というのは皆が忘れられないことではなかったか(?)・・と思う。 また、数あるコマのうち床中で最後まで回っているのを競う遊びもあった。

サシは特定の相手と勝負したいときで周りの者は手出ししない。

やっとコマを巻けるようになったぐらいの小さい子供がいる場合は時々本コを中断して嘘ンコで行う。

ギャンブルだから当然ルールがあり違反すれば、当分の間は仲間に入れてくれない。 なけなしの小遣銭で買ったものなので必死になる。

真剣勝負では、時には・・いざこざも起こる。 けれども、こういうことを繰り返しているうちに、お互い子供心にも相手の心情を察し、手を緩めたり・・など気遣いの気持ちが自然と生ずる。

ボクは意外と、この手の遊びが強かった。 ベーゴマ遊びのライバルであり、世間から悪ガキとして一目置かれていた小島穣治 君・・彼が家庭の事情で引っ越すときボクの家に来て・・「チョットこいや」・・といった。 ボクと彼はベーゴマのことで、しょっちゅうモメていたから・・ぶん殴られるかもしれない・・と思いながらも附いていった。そうして彼は家の庭を掘り始めた。 そこに出てきたのはカメに入った沢山のベーゴマだった。 「これ、やっからヨ」・・始めはどういうことか解らなかったが・・「マーちゃん(ボクのこと)から獲った分だよ、返すからヨ」・・。

ボクは、これ以後ベーゴマ遊びは一度もやった記憶がない。

ベーゴマ同士がぶつかって弾けるとき火花が散ることがある・・という。 実際にはどうだか知らないが、当時の塵ゴミした街中の片隅で子供たちは、その火花を感じ・・いや確かに見た・・のだと思う。

後年、彼は残念なことに高校生のときバイク事故で亡くなったことを知った。 生きていれば生涯の友達であったろう。 近年、テレビでベーゴマ遊びの放送をやることがあるが、そのたびに、あの時の悪ガキ・・譲君・・の、テレた顔を思い出す。

mvm masa


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