(日野コンテッサ900)

 貴方は御存知でしょうか?・・昭和30年代後半に リヤエンジン、リヤドライブでキビキビした軽快な走り、独特な歯切れのよいエンジン音、小ぶりなミニスポーツセダン風で素敵なデザイン・・のクルマが有ったことを・・


 そう、あれは昭和46年3月のことでありました。当時、私は友達の計らいでコンテッサ1300を中古で買って乗っていたのですが本当は900が欲しかったのです。しかし900は、もうとっくに生産中止になっていて、生産台数が少ないのに加え比較的高価なのと人気があるのとで、中古市場でもほとんど見かけませんでした。

しかし900が欲しくて時々フット頭をよぎります。あるとき仕事中に、私の前をコンテッサ900が走っており、その後ろ姿を見ながら後についていったところ 栃木日野営業所に入っていきました。私は一旦は営業所の前を素通りしたのですが、次の瞬間とんでもない事が頭をかすめたのです。

私の自宅で乗っている1300は、さっきの900より、よほど程度が良い、交渉しだいでは・・もしかしたら私の1300と交換してくれるかもしれない・・。

私は引き返し、営業所に入っていって「今ここに入った900の持ち主にお会いしたいので、呼んでもらえませんか?」と話しました。先方は「何か御用ですか?」・・と怪訝な当然の受け答え。

持ち主は室長だったか参事だったか思い出せませんが、長田(仮名)さんという方で、「実は、これこれ こういう訳で貴方の900と私の1300と交換してくれませんか?」・・と藪から棒に切り出しました。長田さんは黙って私の話を聞いていましたが、周りの人は・・「オカシナやつが来た」・・と思ったのでしょうヒソヒソ話が聞えます。

一通り私の話を聞き終えた長田さんは・・「貴方の思いは良く解りました。イイカゲンな話ではなさそうですね。基本的には交換してあげましょう。但し貴方の1300を後ほど持ってきて見せてください、最終的にそこで判断いたします」・・

こうして私は休日の朝、コンテッサ1300で再び栃木日野営業所に行き、さまざまな車のテスト及び各種書類の変更手続き、私の身元や過去経歴の調査、あとくされのないように念書などを書かされて、その日の夕方 念願の日野コンテッサ900DX に乗って我が家に帰ったのであります。 帰るときに整備の人が、あらかじめ経緯を聞いていたのでしょう・・「やったネ」・・と親指を立てて笑顔で見送ってくれたことを昨日のように思い出す・・と同時に長田さんの人柄が偲ばれます。

その後 、約6年間、日野コンテッサ900は私を楽しませ、惜しまれながら天寿を全うしたのは言うまでもありません・・。

どうして900がそんなに好きなんだい?・・・「ナゼ???  だって好きなんだもん」・・・。。。

mvm masa


コンテッサに魅力を感ずるのは私だけではないようで、下記の書物からも伺い知れる・・(この文章は900ではなく1300・Sや1300クーペなのですが私の気持ちを代弁してくれています)

青春の一時期をクルマに燃焼させた友であれば、雨の降る夜、燈されたテールランプも怪しく都内の疎コースをテールを振って突っ走るコンテッサの姿が想像されるはずだ。いま考えれば、決して高性能ではなかったけれど、あのGTカーブーム華やかなりし時代に、なを魅力を失わなかったのは、その得がたい個性のゆえであろう。(横越光弘 著 わが青春の名車たち)・・より。


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