瀬川冬樹の続き

下記に当時の格 評論家(?)の追悼の言葉を Stereo Sound 誌(昭和57年1月15日発行 NO.61 1982 WINTER)より抜粋して紹介したいと思います(すみませんが無断で)

瀬川冬樹君が亡くなった。残念至極である。まだ46歳の若さだから、本人もさぞかし無念であったろう・・・彼の死のあまりの孤独さと、どうしょうもない世間馬鹿のこの才能豊かな一人の人間の生き様は、多くの人達には解るまい。もし解っていたら、世の中、もっと良くなっているはずだ・・・瀬川君のオーディオ界に果たした役割は、計り知れないほど大きいと思う。彼は率直に自分の好きなことだけをやってきたから、無視されたり、嫌われたりした人も多くいるだろう。稀有なわがまま物であったし、口にはとげもあったから誤解している人も多いと思う。しかし、この彼の純粋な発言とひたむきな姿勢がどれほどオーディオの本質を多くの人に知らしめたことか。彼は常にオーディオを文化として捉え、音を人間性との結びつきで考え続けてきた・・・鋭い感受性と、説得力の強い流麗な文体で書かれる彼のオーディオ評論は、この分野では飛びぬけて光り輝く存在であった。・・・惜しい人を無くしてしまった。・・・・・・菅野沖彦

僕の知っている限り、音楽が根っから好きな数少ないオーディオ評論家の中で、瀬川さんぐらい音楽と演奏の好みがはっきりしていて、しかもよくきき込んでいる人はいない。それが瀬川冬樹のオーディオ哲学の基礎を形成していた。これが、彼の他にかけがえのないユニークな仕事をなさしめたゆえんでもあった。・・・音楽とオーディオを結びつけるために、ひっしになり、そのために彼は命をちじめてしまったとしか思えない。こよなき論争の相手を無くした寂しさ。もうこういう人は二度とあらわれまいとおもわれる口惜しさ。何とかその気持ちを言葉にしたいと思いながら、うまくいいあらわせない。ただ、残念無念あるのみ。・・・・・・岡 敏雄

瀬川冬樹氏が亡くなった。僕は、瀬川冬樹というペンネームより、本名の大村一郎のほうが好きだ。・・・・彼は何事においても我慢することができなかった。欲しいものを見つければ後先のことなど全く考えず、懐中無一文になるのをかまわず買ってしまった。人と意見が対立すれば、とことん議論をしあい、しまいには涙をながしながら食い付いていた。

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